レオが登った十二支の山





番号 干支 読み  山 名  所 在 地   標 高  登 頂 日 
  1 ノ泊山 三重県   907m  2009.03.21
  2 うし 廻山 奈良県・和歌山  1207m  2008.08.02
  3 とら ヶ峰 和歌山県   790m  2010.02.20
  4 福井県・石川県  1692m  2006.10.15
  5 たつ ヶ岳 山梨県  1485m  2007.11.25
  6 峠山 長野県  1664m  2010.06.12
  7 うま 形山 長野県  1445m  2006.11.03
  8 ひつじ 蹄山 北海道  1898m  2007.08.14
  9 さる 子城山 大阪府   709m  2010.02.13
 10 とり 見山 奈良県   735m  2008.02.16
 11 いぬ 鳴山 大阪府   651m  2005.03.06
 12 三重県   820m  2006.03.11




参考資料:

−義犬伝説− 『犬鳴山』の由来( 七宝滝寺より )

宇多天皇(889〜898)の寛平二年(890年)三月、紀伊の猟師が犬を連れて、当山の行場「蛇腹」附近で 一匹の鹿を追っていました。猟師の傍の大樹に大 蛇がいて、猟師を狙っていましたが、猟師はそれに気 づかず弓をつがえ、鹿に狙いを定めて射ようとしたとき、猟師の愛犬は急にけたたましく吠えだしました。 犬の鳴声におどろいた鹿は逃げてしまい、獲物を失った猟師は怒って、腰の山刀で吠え続ける愛犬の 首に切りつけました。犬は切られながらも大蛇めがけて 飛び上がり、大蛇の頭に噛みつき、猟師を助けて 大蛇と共に倒れました。事の意外さを知った猟師は、自分の命を救って死んだ愛犬の死骸をねんごろに葬り 弓を折って卒塔婆とし、そして七宝滝寺に入って僧となり、永く愛犬の菩提を弔いつつ、 安らかに余生をすごしたと語り伝えられています。 ( 義犬の墓 ) この話を聞いた宇多天皇は「報恩の義犬よ」と賞し、「一乗鈴杵ヶ岳(一乗山、鈴杵ヶ岳とも)」 を改め「犬鳴山」と勅号を与えたと伝えられています。 今から1300余年前に役小角(役の行者) が修験道を開祖した山である。
犬鳴山修験道とは 犬鳴山本尊倶利伽羅大竜不動明王は今から千三百余年前開山、役の行者が奥の滝において祈り出された威神力明王で古くから命乞不動、運気の守護神として霊験あらたかな不動明王です。犬鳴山修験道とは犬鳴山本尊大龍不動明王を御本尊にいただき、葛城山脈の修行体系を伝承していく教えのことです。

(犬鳴山 七宝瀧寺のHPより)



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